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神戸地方裁判所 平成8年(ワ)2457号 判決

原告(反訴被告)

藤田好春

被告(反訴原告)

岡本秀雄

主文

一  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、金三七四九万〇〇〇一円及びこれに対する平成七年七月二六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告(反訴原告)のその余の請求を棄却する。

三  原告(反訴被告)の本訴債務不存在確認の請求を却下する。

四  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、すべて原告(反訴被告)の負担とする。

五  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  本訴

原告(反訴被告。以下単に「原告」という。)の被告(反訴原告。以下単に「被告」という。)に対する、別紙交通事故目録記載の交通事故を原因とする損害賠償債務が一切存在しないことを確認する。

二  反訴

原告は、被告に対し、金六三七九万七七〇八円及びこれに対する平成七年七月二六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  別紙交通事故目録記載の交通事故(以下「本件事故」という。)により、被告が負傷したところ、原告は、双方の過失を考慮すると、既払金を超える損害賠償債務がないとして、債務の不存在の確認を求め、被告は、これを争い、反訴として、損害の賠償を求める。

二  本件事故発生の事実及び、原告が加害車両の保有者であり、かつ本件事故の発生につき過失があり、本件事故により被告が受けた人的損害及び物的損害を賠償する責任があることは争いがない。

なお、原告が、既に被告に対して、二か月分の給与相当額七〇万五一〇〇円、財布及び現金の損失の賠償金として一三万六九五〇円を弁償したことは争いがない。

三  争点

1  過失相殺の当否、割合

2  被告の治療と相当因果関係、後遺障害の部位程度

―とくに、咽頭腫瘍による症状との区分

3  被告の損害額

4  後遺障害に基づく損害賠償請求権の消滅時効の成否

四  争点1(過失相殺の当否・割合)に関する当事者の主張

1  原告

本件事故は、交差点における出会い頭の衝突事故であって、過失割合は、原告六割、被告四割程度である。

2  被告

被告が、被害車両に乗って広路優先道路を進行中、左側の狭路から原告運転の加害車両が一時停止することなく加速して突入してきて、被害車両の側面に衝突したことにより発生したものであって、原告の一方的な過失によるものであり、過失相殺を考えるべきではない。

五  争点2(被告の治療と相当因果関係、咽頭腫瘍による症状との区分、後遺障害の部位程度)に関する当事者の主張

1  被告

(一) 被告は、本件事故で、急性硬膜下血腫、脳内出血、脳挫傷、くも膜下出血その他の傷害を負った。

(二) 被告は、即日、神鋼病院に入院し、次のとおり脳外科及び精神科の治療を受け、後遺障害が固定した。

入院

ア 平成七年七月二五日(事故日)から九月二八日まで脳外科に入院(六六日)

イ 平成八年九月二六日から一〇月一日まで脳外科に入院(六日)

ウ 平成九年一月三一日から二月三日まで脳外科に入院(四日)

通院

エ 平成七年九月二九日から平成一〇年七月八日まで脳外科に通院(延べ一〇一四日。実日数三八日)

オ 平成七年九月二九日から平成一〇年一〇月五日まで精神科に通院(延べ一一〇三日。実日数二九日)

(三) 症状固定日と残存した症状

ア 脳外科 平成一〇年七月八日

頭痛、霧視、項部不快感、左半身知覚低下、左前頭葉内低吸収域

イ 精神科 平成一〇年一〇月五日

抑うつ、易刺激性、集中困難、易疲労性、認知機能低下

ウ これらの症状は、自動車損害賠償保障法施行令別表(以下「自賠法別表」という。)九級一〇号「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当する。

(四) 上咽頭腫瘍について

被告は、平成九年一月に上咽頭腫瘍(ガン)と診断されたが、平成八年九月(又は一〇月)から平成九年春にかけての症状のうち、右腫瘍に基づくものが本件事故による影響をまさる部分があるとしても、以降もやはり本件事故での受傷による症状が持続し、平成一〇年七月から一〇月にかけての症状固定に至っているのであり、損害算定上、慰謝料で若干考慮されることがありうるとしても、休業損害などの算定に影響することはない。

仮に右のガンが転移し、症状が悪化することがありうるとしても、事故発生時をもって把握される逸失利益の算定においては無視されるべきものである。

2  原告

(一) 被告の本件事故による頭部外傷に対する開頭手術は成功し、平成七年九月末日まで入院し、その後通院して、同年一二月末で治療を終えて、症状固定した。その程度は自賠法別表一四級か一二級程度である。

(二) その後、被告は、平成八年三月以降、めまい、吐き気、嘔吐、上下肢、指先のしびれ、冷感等を訴えて、再度通院を始め、一〇月には、頸部痛、左側頭部痛、項部痛を訴えて、入院もしたが、同年末に至って、上咽頭腫瘍(ガン)が発見され、これに対する放射線治療等が行われた。

平成八年以降の被告の症状は、右のガンによる症状もしくは、これに対する放射線治療による副作用であって、抑うつ、易疲労性などの精神神経症状もすべて、同様である。少なくとも記録上、平成八年末ころから、咽頭腫瘍による難聴、頭痛、頸性頭痛の愁訴があるが、ガンは突然発生するものではないから、むしろ、平成七年九月ころの愁訴である咽頭痛、頸性頭痛も咽頭腫瘍に起因する蓋然性が高く、本件事故による頭部外傷によるものか疑問があり、精神症状も、本件事故による外傷に起因するものではない。

(三) 自動車損害賠償責任保険調査事務所が九級一〇号と認定したのも、ガンやこれに対する治療の事実を知らないまま、ずさんに認定したものである。

六  争点3(被告の損害)に関する主張

1  被告

(一) 治療費(自己負担分) 一〇万三五八〇円

(二) 入院雑費 一〇万三六〇〇円

内訳 七四日×一四〇〇円

(三) 交通費 一三万二二〇〇円

(四) 物損 三三万一六二〇円

内訳 車両 一九万四六七〇円

財布 六万六九五〇円

現金 七万円

(五) 休業損害 一八五一万四七九〇円

被告は、工務店を経営していたものであり、平成七年一月一日~六月末日までの間の売上は一一〇七万一三五〇円であったから、平常の年間売上は、右の倍額の二二一四万二七〇〇円であった。

本件事故により、以下のような収入の減少があった。

ア 平成七年七月二五日~同年一二月末日

七月一日~一二月末日の間の実際の売上は七三九万八八四〇円であった。半年分売上げとの差額三六七万二五一〇円。

イ 平成八年分

同年の実際の売上額一四四七万二七〇五円と、前記の平常収入との差額七六六万九九九五円。

ウ 平成九年分

同年の実際の売上額一四九六万九二一五円と、前記の平常収入との差額七一七万三四八五円。

(六) 逸失利益 三六九一万三九六八円

平成九年度賃金センサスによる全男子労働者の平均年収五二九万五四〇〇円を基礎収入とし、喪失率三五パーセント、稼働年数三五年の新ホフマン係数一九・九一七による。

(七) 入通院慰謝料 二七〇万円

入院期間計七四日、通院期間延べ一〇九三日(実日数は、脳外科三八日、精神科二九日の計六七日)

(八) 後遺障害慰謝料 六〇〇万円

なお、原告は、被告の受傷後三か月ころから病状照会を開始し、調停申立から本訴訴え提起と先制的な手続を繰り返して、支払義務自体まったく存在しないとまで主張したものであり、制裁的慰謝料が認められてもよい事案である。

(九) 弁護士費用 六〇〇万円

(一〇) 損害填補

以上の損害に対し、被告は、次の賠償金計七〇〇万二〇五〇円を得た。

(1) 休業損害分 七〇万五一〇〇円

(2) 物損分 財布分 六万六九五〇円

現金分 七万円

(3) 自動車損害賠償責任保険から被害者請求により 六一六万円

よって、残額は六三七九万七七〇八円となる。

2  原告

すべて争う。原告はすでに、被告に、二か月分の給与相当額七〇万五一〇〇円(右(1))、財布及び現金の損失の賠償金として一三万六九五〇円(右(2))のほか、六甲アイランド病院に対して六万一七七〇円、神鋼病院に対して八九万二一九〇円を支払済であり、過失相殺を考えると、これ以上、被告に支払うべき債務はない。

七  争点4(後遺障害に伴う損害賠償請求権の時効)に関する当事者の主張

1  原告

前記のとおり、被告の症状は平成七年一二月には固定していたのであって、後遺障害を理由とする損害賠償請求権は、それから三年を経過したのちに提起された反訴請求は、消滅時効により消滅したから、時効を援用する。

2  被告

争う。被告は、権利のうえに眠っている訳でもなく、証拠が散逸した訳でもない。

第三争点に対する判断

一  争点1(過失相殺の当否、割合)について

1  証拠(乙五の1ないし7)によると、本件事故は、交通整理が行われていない十字路交差点における出会い頭の衝突事故であること、被告が西進していた道路は、片側一車線(幅員はそれぞれ四・五メートルと四・六メートル)づつの車道と両側歩道(幅員二・〇メートルづつ)を有する広い道路であり、中央線の表示は、交差点内も連続していたこと、原告は南から北へ直進しようとしたものであるが、原告の走行していた道路は、歩車道の区別のない、幅員五メートル(交差点南側)ないし四・一メートル(同北側)程度の、明らかに狭い道路であること、信号機等による交通整理は行われておらず、交差点の東南角にはビルがあって互いの見通しはよくないこと、原告は交差点手前でいったん減速して右方向を見て、被告車両の接近を認めたが、先に通過できるものと考え、左から東進してくる車両(訴外中村運転の原動機付自転車)があったことから、その前を通過しようとして、加速して、東西道路の横断を始めたところ、西進車線中央やや左側(南側歩道縁石延長線から北一・五メートル付近)で、原告車両の前輪右側後部付近に被告車両の前輪が衝突する形で双方の車両が衝突したこと、倒れた原告車両は滑走して、東進してきた訴外中村運転の原動機付自転車にも衝突したこと、被告は進行方向の路上に投げ出されたことが認められる。

2  右事実によると、被告の通行道路の方が明らかに幅員が広く、原告は、これを横断しようとしたのであるから、その通行車両の進行を妨げないよう、左右からの接近車両の有無、動向を注視し、安全を確認してから横断を始めるべき義務があるのに、被告車両の接近を認めながら、安易に先に通過できるものと考えて、横断しようとした過失があることが明らかである。

もっとも、被告においても、優先する道路を通行中とはいえ、前方に対する注意を怠らなければ、原告車両を早めに発見して事故を避けえたと見られるから、被告に全く過失がなかったとはいえない。

そして右の道路事情や、衝突位置、その他の事故状況を彼此勘案すると、本件事故については、被告にも一割の過失があったものとして、過失相殺をするのが相当である。

二  争点2(被告の治療と相当因果関係、後遺障害の部位程度)について

1  証拠(甲二の1ないし7、三の1ないし7(孫番号省略)、四の1、2(同)、六ないし九、一一ないし一四(いずれも枝番号省略)、一五ないし一七、乙八、九、一一、一二、一四ないし一七、二八の1、2、証人平井収、証人北村登)及び弁論の全趣旨によると、次の経過が認められる。

(一) 被告(昭和四一年五月二〇日生。当時二九歳)は、路上に投げ出され、ヘルメットを着用していたが頭部を路面に強打し、本件事故直後、六甲アイランド病院に救急搬入された。脳内出血が認められたが、同病院脳外科は他の手術中であったため、事故から約一時間後の午後五時四〇分、神鋼病院に転送されて、急性硬膜下血腫、脳内出血、脳挫傷、くも膜下出血と診断されて、即日、開頭による血腫除去手術を受けた。他に腰部打撲による腰痛をも生じているものと診断された。術後の経過はおおむね良好で、約二か月後の平成七年九月二八日、大きな神経学的脱落症状を残さずに、独歩できる状態で、退院した。

(二) この間、七月二七日には聴力障害を訴えて耳鼻科の診察を受け、八月七日から皮膚科の診察を受け、八月二一日からは、同病院精神科においても、診察を受けた。

そして退院後、被告は、同病院脳外科に、一〇月中に三度、一一月には二度、一二月には二度といった程度に通院し、精神神経科にも、一〇月二度、一一月一度、一二月一度といった程度に通院していた。

(三) 原告の委任を受けた原告訴訟代理人弁護士が弁護士法二三条により、被告の治癒見込み等を照会したところ、同年一〇月五日、脳外科の片岡医師は、腰痛に加えて、頸性頭痛、耳鳴り、耳閉塞感などが続いており、治癒の見込みは未定である旨回答した。また、精神科の北村医師は、後遺障害への精神的、身体的な不安、また仕事に復帰できるかどうかなどの不安、それに伴う不眠、食思不振、入眠困難、感情の動揺及び感情の統制困難、抑うつ、事故状況類似場面での不安、恐怖感、言葉の想起困難等の主訴ないし他覚所見があることを指摘し、頭部外傷の後遺症と考える旨回答した。

(四) 二か月後に再び同弁護士が照会したのに対して、平成七年一二月一四日、脳外科の片岡医師は、「症状固定が見られている。後遺障害として頸性頭痛、耳鳴りが残存し、日常生活不可能ではないが、著しく影響を与えている。」と回答した。他方、精神科の北村医師は、「食欲不振は寛解したが、感情動揺、統制困難は持続している、時に不眠を認める。事故を想起させる場面での恐怖感は持続しており、以上の感惰の動揺、統制困難、恐怖感は症状固定し、現在も持続中である。」と回答した。

もっとも、片岡医師は、右回答の一か月前には、右回答とは異なり、今後も六か月程度の通院加療を要する見込みであるとも診断しており(乙一一)、また、脳外科の先輩医師である平井収医師は、頭部出血による開頭手術の後であり、右時点で症状固定と見るのは早急に過ぎ、なお観察を要する期間であり、かつ、頭痛、頸部痛、耳鳴り、不眠などがあり、感情の起伏が甚だしく、この時点で固定していたとはいえない、と証言している。

(五) 平成八年以降も、被告は、同病院脳外科及び精神神経科に、一月に一度程度の割合で通院していた。ずっと頸部痛が続いていた。平成八年一月一三日の脳波検査では(甲一五)、α波の出現が悪く、覚醒はしているが意識レベルが落ちていた。

(六) そして、被告は平成八年九月二四日から頸部痛、左上下肢末梢のしびれ、左聴力低下、吐き気などを訴え、被告の希望により、九月二六日、再び同病院脳外科に観察のため入院した。神経学的な麻痺はなく、めまいもなく、頸性頭痛と、急性扁桃炎と診断された。点滴と内服で軽快して、六日後の同年一〇月一日退院した。

(七) 平成八年一二月下旬、被告は、左頸部(左顎下部)腫瘤に気づき、圧痛があり、同時に頭痛も出現したので、平成九年一月八日、同病院耳鼻咽喉科や歯科口腔外科の診察を受けたところ、上咽頭左側に圧痛のある腫瘤が確認され、急速に増大していることから、同月一三日生検を受けた結果、未分化の偏平上皮ガンと診断され、同月二三日神戸大学医学部付属病院(以下「神大病院」という。)に紹介された。同月三一日にいったん神鋼病院脳外科に入院したあと、二月三日に神大病院に転入院して、同年五月にかけて、化学療法二クール、放射線療法八六・四Gyを受けたが、腫瘍の縮小率は六六パーセントに止まったため、ステレオ的放射線療法一四・四Gyを受けて、治療を終え、六月一一日に退院した。

(八) この間、平成九年三月、神鋼病院脳外科の片岡医師は、神大病院放射線科西山医師に、本件事故による後遺障害診断書の作成を依頼したが、西山医師は受傷当初の病状が判らないとして断った。西山医師は、被告は入院当初は頭痛がかなり強かったが、化学療法により腫瘍が縮小し始めたころより、頭痛が軽減してきた、ただ時折、左後頸部が硬直し、頭痛にも波がある、と見ている。

(九) 平成九年六月一八日、退院後一週間で、被告は発熱や、頭痛、左半身のしびれを訴え、神大病院に緊急入院した。敗血症の状態であって、免疫不全状態となったのは、前入院時の治療による骨髄抑制が続いていたためと考えられた。治療により骨髄機能も回復し、八月二五日退院した。

右入院中の同年八月に神大病院放射線科において生検を行ったところ、ガンは陽性で、再発、転移が懸念される状態であった。なお、このときも左上肢のしびれを訴えており、筋電図、頸椎のMRIを施行したところ、末梢神経の障害はなく、神経根症が最も疑われ、レールミッテ徴候が陽性であることから、軸索内病変が疑われた。その原因としては、事故のほか、ガンの播種またはクモ膜下腔への転移などによる頸部障害が考え与れるが、MRIの所見上は放射線治療後の脊髄症等はなく、神経内科的には、頸椎症と考えられ、総合的には事故の後遺症と考えられるが、MRIでは変形も顕著ではないので、証明は不可能である、とされた。

(一〇) その後も被告は同病院に通院し、あるいはたびたび入院して、腫瘍の経過観察や検査を受け、発生する様々な症状に対する治療を受けている。腫瘍の再肥大の有無等について継続的に診察を受けているが、頭痛、耳漏、開口障害等を訴えている。平成一一年三月から、全身脱力、両側足部のしびれを自覚し、四肢末端部の腫大、両側足関節の痛みと腫張があり、膝関節、肘関節の痛みも自覚するようになって、五月には、精査加療目的で入院した。これらの症状は、先の化学療法や放射線療法の副作用ないし後遺症と見られる。

(一一) 他方、平井医師は、次のとおり判断している。

被告のガンは、進行が早く、頸部が大きく腫れてからは痛みが強くなったであろうし、これが発見された平成九年一月の二、三か月前から頸部の症状に寄与していた可能性はあり、平成八年九月末の入院時の症状に右ガンが関係ないとはいえない。けれども、それ以前の症状は、明らかに治療効果があったし、本件事故により生じた症状はガンの発見以前には固定に至っていなかったものというべきで、症状固定は、平成一〇年になってからと見るのが相当である。

そして、同医師は、本訴において平成一〇年六月に証言した後の同年七月八日付けで、自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書を作成した。頭痛、霧視及び項部不快感を症状とし、左半身知覚低下とCTで左前頭葉に低吸収域があるとしている。

なお、被告の頭部単純CTスキャンでは、手術直後は左前頭葉に広範な低吸収域があり、次第に縮小したものの、平成八年三月及び九月の検査でも、左前頭葉内に脳挫傷及び脳内血腫の痕跡として低吸収域が存在しており、これは、感情面での生き生きさがなくなり、モチベーションが障害され、うつ的な訴えを招いており、言葉の想起困難を引き起こしているものと見られる。この所見は、平成一〇年七月後遺障害診断時にも、なお残存していた。

(一二) また、精神科の北村医師も、平井医師とほぼ同時の平成一〇年七月二三日付けで自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書を作成し、抑うつ、易刺激性、集中困難、易疲労性の主訴があり、人格変化(易刺激性)を認め、心理検査によっても、集中困難、認知機能低下を認める、としたが、症状固定とはしなかった。ただ、その後被告から、賠償問題を早く決着させたいと求められて、同年一〇月五日症状固定として、右同様の診断をしたうえ、精神症状は動揺の可能性がある、と付記した。

そして同医師はその証言において、被告の、感情のコントロールができないといった、精神科的の症状は、本件事故により既に生じていたものであって、ガンを告知されて神大病院に入院したあと、あるいは平成一一年一〇月に再入院して再発を指摘されたあとの被告本人の態度からして、ガンに因るものとは考えない、と明言する。

(一三) 平成一〇年一〇月、右の平井医師及び北村医師の診断に基づいて自動車保険料率算定会調査事務所は、被告の後遺障害を自賠法別表一二級一二号と認定した(乙一八)が、その後、平成一一年八月三〇日までに、認定を自賠法別表九級一〇号と変更した。

なお、被告の上咽頭腫瘍のことは、本訴では、平井医師の証言(平成一〇年六月)までに提出されていた神鋼病院脳外科診療録(甲八)から明らかであり、同証言でも触れられていた。

2  右認定の事実に基づいて考える。

被告は、本件事故により、頭部挫傷、硬膜下血腫等の傷害を負って、手術を受け、外傷としては、おおむね良好な経過を辿って退院に至ったものの、頭部外傷に起因すると解される頭痛や霧視、項部不快感などが続いたほか、手術後早い時期から、身体的、精神的不安に伴う不眠、食思不振等を訴え、集中困難、易疲労性、易刺激性等の精神症状が現れていた。言葉の想起困難は、器質的にも本件事故に基づくことが確認できた。これらの症状は波があり、かつ、軽減はして行くものの、ずっと持続していた。平成九年一月に至って上咽頭腫瘍が発見されたが、これはその性質上、二、三か月で急速に増悪したものであり、被告の身体的精神的症状に腫瘍による影響が現れたのは、せいぜい右の二、三か月程度遡るに止まると見るのが相当である。

従って、平成八年九月以降の症状は右の咽頭部腫瘍に起因するところが大きいとはいえるものの、右以前に見られた身体的精神的症状の継続延長の限度では、本件事故と相当因果関係があるものというほかない。その固定時期は、右咽頭部腫瘍やそれに対する治療の影響があって把握し難いものの、平井医師及び北村医師が診断したとおり平成一〇年七月と見るのが相当である。そして右診断において把握された症状は、咽頭部腫瘍と競合するところがあるものの、おおむね、本件事故により発生したものとして理解できるところであって、これらの診断に見られる症状の限度で、本件事故による後遺障害が残ったものと捉えるのが相当であり、その程度は自賠責別表九級に該当するものというべきである。

三  争点4(消滅時効)について

被告の反訴提起は平成一一年六月になされたが、それは症状固定診断が前年七月ないし一〇月に行われたことや、その後反訴の損害賠償請求権の存在を前提として、本訴において和解を試みていたためであることは当裁判所に顕著な事実である。

のみならず、被告は本訴に応訴することによって、損害賠償請求権を主張していたのであって 消滅時効の進行を考える余地はない。

原告の主張は失当である。

四  争点3(被告の損害額)について

1  治療費 九五万三九六〇円

被告は、平成七年七月分から同年一二月八日までに神鋼病院に合計一〇万三五八〇円を支払ったが、右は電話代などであって治療費とは認められないから(乙二〇の1ないし7、14)、本件事故と相当因果関係のある損害とはいえない。

逆に、甲三の1ないし7、弁論の全趣旨によると、原告は、被告の本件事故による治療費として、六甲アイランド病院に六万一七七〇円、神鋼病院に八九万二一九〇円の合計九五万三九六〇円を支払ったものと認められる。

2  入院雑費 九万二四〇〇円

被告の前記認定の入院のうち、事故直後の平成七年七月二五日から同年九月二八日までの六六日間については相当因果関係がある。平成八年九月二六日から一〇月一日までの六日間については、本件事故による症状が重複していることは明らかであるものの、後に確認された被告の頸部腫瘍が、症状を悪化させていた疑いが強く、入院をよぎなくさせたものと解されるから、本件事故と相当因果関係があるとはいえない。

入院雑費は、一日当たり一四〇〇円の限度で相当因果関係が認められるから、認容金額は九万二四〇〇円となる。

3  交通費 〇円

被告は、本件事故の治療に要する交通費として一三万余円を要した旨主張し、乙二一の1ないし44によると、タクシー代及び病院の駐車料金を指すものと解されるが、入院中の極めて頻繁なタクシー利用(九月二八日までの入院中に、一七往復半。乙二一の44)が、治療に必要なものであったとは認めがたく、結局、右交通費のうちどの程度がどのような理由から必要であったのか、認定することができないから、全額について認容できない。

4  物損 一九万六九五〇円

被告車両は、事故前約半年の平成七年一月二七日に代金一九万四六七〇円で購入したものであるのに(乙二二の1)、本件事故により前輪泥よけ破損、フロントホーク曲損の損傷を受けたが(乙五の2)、だからといって全損に至ったとは認め得ない。

そして、右の損傷部位を修理するに要する費用額は、これを認めるべき的確な証拠はないが、フロントホーク曲損を生じたことからすると、当初購入価格に照らして、そのおよそ三分の一の六万円程度は要するものと認められる。

なお、被告が財布や現金を失ったことについては、既に原告において、財布代金として六万六九五〇円、現金の補填として七万円を支払っており、争いがない。

5  休業損害 六七七万〇一六二円

(一) まず基礎収入について見る。乙二三ないし二六及び弁論の全趣旨によると、被告は本件事故当時二九歳で、父親の経営する工務店で、設計や事務の仕事をしていたものであり、妻と二人の子供があることが認められる。

被告の提出した乙二三ないし二六(本件事故発生後に申告した平成七年ないし平成一〇年度の所得税の確定申告書控え)には、自ら設計事務所と不動産仲介業を営んでいる旨の記載があるが、父親の経営との関係は不明であり、また売上げの全てを被告の収入とすることもできず(現に右申告では妻を事業専従者としているほか、従業員に対する給料支払もしている。)、信頼するに足りる資料とはいえない。また、被告は、平成七年前半分の売上げをもって、その通常の収入とすべき旨主張するが、その額を認めるに足りる証拠もない。

もっとも、被告は従前、健康で、右業務に従事していたものと推定されるから、賃金センサスによる平均賃金程度の収入は得ていたものと推定され、これをもって、被告の基礎収入とするのが相当であるところ、平成七年度の賃金センサスによる二九歳の年齢層の全男子労働者の平均賃金が年額四二三万八〇〇〇円であることは当裁判所に顕著である。

(二) 次に休業の必要性と休業期間について見る。事故当日から平成七年九月二八日までの入院期間は、就業が不可能であったと認められる。また退院後は、身体的、精神的諸症状から、本件事故前と同様の就労が可能となった訳ではないが、被告の主張や立証(前記乙二三ないし二六号証)によると、被告は、平成八年、九年、一〇年とも、相当の売上げとなる業務に従事していたものと認められ、退院後の労働能力喪失による損害は、五〇パーセント程度に止まるものとするのが相当であり、その休業は、前記の後遺障害診断がなされた、平成一〇年七月までの三四か月間とするのが相当である。なお、現実には、平成八年九月末に入院したのち、翌年一月以降は咽頭ガンとの闘病生活になっていて、現実に就労できていないが、このことは、本件事故による損害の認定に際して斟酌すべきではない。

そうすると、この間の被告の休業損害は次のとおり算出される。

4,238,000×(1×66÷365+0.5×34÷12)=6,770,162

6  逸失利益 三〇二〇万四三一九円

前同様、症状固定時の、平成一〇年度賃金センサスによる三二歳の全男子労働者の平均賃金は年収五二七万〇四〇〇円であることが当裁判所に顕著である。

前記の被告の後遺障害の症状や、自動車保険料率算定会調査事務所の認定にかかる後遺障害等級からして、被告に残った後遺障害により、被告は、その労働能力の三五パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。稼働年数を六七歳までの三五年として、ライプニッツ方式により年利五パーセントの中間利息を控除すると、その係数は一六・三七四一であるから、後遺障害による逸失利益は次のとおり算出できる。なお、被告の日常は、咽頭ガンとの闘病生活になっていて、現実に就労できていないが、このことは、ガンの発生より以前に発生した本件事故によってどれだけの損害が生じたかを認定するについて斟酌する要はない。

5,270,400×0.35×16.3741=30,204,319

7  慰謝料 八五〇万円

以上に認定した、本件事故による被告の受傷の部位程度、残った後遺障害の部位程度のほか、入通院期間、通院の頻度等の事情のほか、本件事故を巡る原告側の対応(ことに受傷三か月後から病状照会を繰り返し、債務不存在確認を求める調停の申立や本訴の提起を提起したことは、本件事故で精神症状を生じていた被告にさらに深刻な影響を与えた可能性がある。)など諸般の事情を総合すると、本件事故により被告が被った精神的損害を慰謝するには、合計八五〇万円をもって相当とする。

8  過失相殺

以上に認定した損害額は、合計四六七一万七七九一円となるところ、前記した一割の過失相殺をすると、被告が原告に賠償を求め得る損害額は、四二〇四万六〇一一円となる。

9  損害填補

原告が被告の治療費として九五万三九六〇円を支払ったことは前記のとおりである。原告が被告に休業損害二か月分として七〇万五一〇〇円、財布分及び現金分として一三万六九五〇円を賠償したこと、被告が自賠責保険から合計六一六万円の補填を受けたことは当事者間に争いがない。

以上の合計七九五万六〇一〇円を、前項の損害額から控除すると、残額は三四〇九万〇〇〇一円となる。

10  弁護士費用

被告が、被告訴訟代理人に委任して、本訴に応訴し、反訴を提起遂行したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、本訴の経過や、事案の内容、右認定の賠償認容額等、諸般の事情を総合すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、三四〇万円をもって相当とする。

五  よって、被告の請求は、三七四九万〇〇〇一円とこれに対する事故の翌日である平成七年七月二六日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、原告の債務不存在確認請求は、反訴をもって当該債務の有無が確認される以上、訴えの利益がないのでこれを却下することとし 訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条但し書を、仮執行の宣言について同法二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 下司正明)

(別紙) 交通事故目録(交通事故の内容)

1 発生日時 平成七年七月二五日午後四時二〇分ころ

2 発生場所 神戸市東灘区魚崎北町三丁目一一番一六号

3 加害車両 自動二輪車(神戸ま一一二三)

4 右運転者 藤田好春(原告・反訴被告)

5 被害車両 原動機付自転車(神戸東に九四四一)

6 右運転者 岡本秀雄(被告・反訴原告)

7 事故態様 交差点における出会い頭の衝突

(別紙) 損害計算表

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